早川友基の学歴は、相模原市立向陽小学校、小山中学校、桐蔭学園高校、明治大学である。横浜F・マリノスの育成組織と高校・大学サッカーの両方を経験し、2021年に鹿島アントラーズへ加入した。
小学校の卒業文集に書いた「プロサッカー選手」という夢を実現した背景には、進学するたびに異なる環境へ適応し、ゴールキーパーとしての力を磨いてきた歩みがある。
早川友基の学歴と出身校は?
早川友基の出身校を進学順に並べると、相模原市立向陽小学校から相模原市立小山中学校、桐蔭学園高校、明治大学となる。
学校の部活動だけでサッカーを続けたわけではなく、小学生年代から中学生年代までは横浜F・マリノスの育成組織でもプレーしていた。学校と競技上の所属先を分けて確認することが、早川の経歴を正しく理解するポイントだ。
学校・進路 在学・卒業時期の目安 主な所属チーム 主な出来事
相模原市立向陽小学校 2011年3月卒業 小平八小アベリアFC、杉並シーダーズ、横浜F・マリノスプライマリー 6年生時に転入し、卒業文集にプロサッカー選手の夢を記す
相模原市立小山中学校 2011年4月~2014年3月ごろ 横浜F・マリノスジュニアユース 班長や学校行事の中心を務める
桐蔭学園高校 2014年4月~2017年3月ごろ 桐蔭学園高校サッカー部 2015年国体で神奈川県代表として両県優勝
明治大学 2017年4月~2021年3月 明治大学体育会サッカー部 総理大臣杯準優勝、関東大学リーグベストイレブン
鹿島アントラーズ 2021年加入 鹿島アントラーズ 2020年6月19日に加入内定が発表される
早川は1999年3月3日生まれで、神奈川県出身。身長187センチ、体重81キロ、右利きのゴールキーパーである。
鹿島アントラーズは2020年6月19日の加入内定発表で、早川の特長を「反応鋭いシュートストップと正確なフィード」と紹介した。関東大学選抜歴があり、2019年には関東大学リーグのベストイレブンにも選ばれている。
注目したいのは、早川が小学生年代から同じ組織だけで育った選手ではないことだ。
地域クラブ、Jクラブのアカデミー、高校サッカー、大学サッカーと、異なる育成環境を渡り歩いている。整備士の仕事に例えるなら、一つの工具だけを極めたのではなく、現場が変わるたびに必要な技術を身につけ、対応できる幅を広げてきた選手である。
早川友基の小学校は相模原市立向陽小学校
早川友基が卒業した小学校は、神奈川県相模原市中央区にある相模原市立向陽小学校である。
早川は小学校6年生になる時期に家族と相模原市へ転居し、向陽小学校へ転入した。転居の詳しい理由については、確認できる公開資料では明らかにされていない。
2026年5月28日付のタウンニュースは、早川を向陽小学校出身と紹介し、当時の担任や関係者の証言を伝えている。さらに同年7月30日の記事では、向陽小学校と小山中学校の出身であることが改めて明記された。
向陽小学校時代は謙虚な児童だった
向陽小学校6年生時の担任だった三浦貴隆教諭は、早川について、素朴で謙虚、控えめな児童だったと振り返っている。
一方、サッカーの授業では、一人でボールを運んで相手をかわすほどの技術を見せていた。それでも自分でシュートを狙い続けるのではなく、最後に仲間へパスを出すこともあったという。
ここで注意したいのは、このエピソードだけを根拠に、現在のゴールキーパーとしての統率力まで断定できるわけではない点だ。
ただ、技術がありながら周囲を見て仲間を生かしていた姿からは、少年時代の早川が「自分だけが目立てばいい」と考えるタイプではなかったことがうかがえる。
ゴールキーパーは個人競技ではない。どれほどスーパーセーブを連発しても、味方との連係が崩れればゴールは守れない。
仲間の位置を確認し、状況に合った判断を選ぶ姿勢は、最後方からチーム全体を見る現在の役割とも重なる部分があると筆者は考える。
卒業文集に書いた夢はプロサッカー選手
早川は向陽小学校の卒業文集に、将来の夢としてプロサッカー選手と記していた。
文集では、夢を諦めずに努力することが近道であり、サッカーだけでなく、普段の生活からしっかり取り組みたいという趣旨の決意も残している。
ここが熱い。
単に「プロになりたい」と書いただけではない。夢を実現するためには、練習以外の生活態度も大切だと、小学生の段階ですでに考えていたのである。
プロのゴールキーパーには、試合中の技術だけでなく、日々の体調管理、食事、休養、練習への準備が求められる。
卒業文集の言葉が、その後の成功を直接保証したわけではない。それでも、生活を含めて努力を積み重ねるという考え方が、長い競争を勝ち抜く土台になった可能性はある。

小学生年代に所属したサッカーチーム
Jリーグと日本サッカー協会が公開する経歴では、早川の小学生年代の所属先として、次のチームが確認できる。
- 小平八小アベリアFC
- 杉並シーダーズ
- 横浜F・マリノスプライマリー
その後、横浜F・マリノスジュニアユース、桐蔭学園高校、明治大学、鹿島アントラーズへ進んだ。
ただし、各少年チームへ加入した正確な学年や、在籍期間の詳細は公開資料から確認できない。
また、何歳からゴールキーパーを専門的に務めるようになったのかも、今回確認した公式資料には明記されていなかった。そのため、幼少期から一貫してGKだったと断定するのは避けるべきだ。
向陽小学校の授業でドリブルやパスの技術を見せていたという証言からは、足元でボールを扱う力も培っていたことがうかがえる。
現代のゴールキーパーは、シュートを止めるだけでは務まらない。相手のプレスを見ながらパスコースを選び、両足で攻撃の起点になる力が必要だ。
鹿島がプロ加入時に「正確なフィード」を評価したことを考えると、小学生年代からボールを扱ってきた経験は、早川の大きな武器へつながったと考えられる。
早川友基の中学校は相模原市立小山中学校
早川友基の出身中学校は、相模原市立小山中学校である。
2026年7月30日付のタウンニュースは、早川が相模原市立向陽小学校と小山中学校の出身であることを明記している。
中学生年代のサッカーでは、学校の部活動ではなく、横浜F・マリノスジュニアユースに所属していた。
つまり、通っていた学校は小山中学校、競技活動の所属先は横浜F・マリノスジュニアユースである。「横浜F・マリノスの中学校に通っていた」という意味ではないので、混同しないようにしたい。
小山中学校では班長や行事の中心を務めた
早川が小山中学校2年生と3年生の時に担任を務めた遠藤竜也教諭によると、早川は友人と仲良く過ごし、リーダーシップを発揮する生徒だったという。
班長を務めたほか、学校行事でも中心となってクラスを引っ張っていた。
小学校時代には「控えめで謙虚」、中学校時代には「リーダーシップを発揮」と伝えられている。
この二つは決して矛盾しない。
普段から自分を強く押し出すのではなく、責任が必要な場面では前へ出る。そんなタイプだったと捉えることができる。
ゴールキーパーにも同じ資質が求められる。最後方から味方へ指示を出す必要はあるが、声を出す目的は自分の存在を誇示することではない。
チーム全体を守るために、必要な情報を的確に伝える。その意味で、小山中学校時代に見せたリーダーシップは、現在のコーチングを考えるうえでも興味深い事実だ。
横浜F・マリノスジュニアユースで競争した
早川は横浜F・マリノスプライマリーから、同クラブのジュニアユースへ進んだ。
ジュニアユース年代になると、試合の速度、選手の体格、戦術の複雑さが大きく増す。ゴールキーパーにはシュートへの反応だけでなく、クロスへの対応、守備範囲、味方への指示、攻撃の組み立てまで求められる。
一方、早川は高校年代で横浜F・マリノスユースへ進まず、桐蔭学園高校サッカー部を選んでいる。
本人がユースへ進まなかった詳しい経緯について、今回確認した公式資料には記載がない。
「昇格できなかった」「自分から高校サッカーを選んだ」といった見方を、根拠なく断定するべきではない。確認できるのは、横浜F・マリノスジュニアユースから桐蔭学園高校へ進み、その後に明治大学と鹿島アントラーズへの道を切り開いたという事実である。
早川友基の高校は桐蔭学園高校
早川友基の出身高校は、神奈川県の桐蔭学園高校である。
Jリーグ、日本サッカー協会、鹿島アントラーズが公開する経歴でも、横浜F・マリノスジュニアユースの次に桐蔭学園高校が記載されている。
在学時期は一般的な進学年齢から、2014年4月から2017年3月ごろと考えられる。サッカー部では51期にあたり、2016年度卒業である。
2015年国体で神奈川県代表として両県優勝
高校2年だった早川は、2015年の第70回国民体育大会「紀の国わかやま国体」少年男子に、神奈川県代表のゴールキーパーとして出場した。
決勝では神奈川県と福岡県が対戦。前後半70分と延長戦を終えても0-0で決着がつかず、大会規定により神奈川県と福岡県の両県優勝となった。
したがって、「早川が神奈川県代表として単独優勝した」という説明は正確ではない。
正しくは、神奈川県代表として決勝に出場し、福岡県と引き分けた結果、大会規定による両県優勝を経験したとなる。
都道府県選抜では、普段とは違うクラブや学校の選手と短期間で守備組織をつくらなければならない。
特にGKは、センターバックの特徴、最終ラインの高さ、セットプレーでの役割を素早く把握する必要がある。新しい仲間と連係を構築した国体の経験は、その後の大学選抜や日本代表のような短期活動にも通じるものがあると考えられる。

アカデミーから高校サッカーへ進んだ意味
早川の育成経路で特に注目したいのは、Jクラブのジュニアユースから高校サッカーへ移った点だ。
Jクラブのアカデミーでは、年代が上がっても同じクラブの理念やプレーモデルを軸に育成が進められる。一方、高校サッカーへ移れば、指導者、練習環境、チーム内の役割、学校生活との両立など、多くの条件が変わる。
早川はその環境で神奈川県代表へ選ばれ、卒業後には大学サッカーの強豪である明治大学へ進学した。
これは、一度でき上がった評価だけに頼らず、新しい場所でも力を示したことを意味する。
もちろん、横浜F・マリノスユースへ進まなかったことを、資料なしに「挫折」と表現することはできない。
それでも、育成環境が変わった後も全国レベルの評価を得たことは確かだ。早川の経歴の特徴は、一本道を走ったことではなく、分岐点のたびに新しい道をつないできた点にある。
早川友基は明治大学でどんな実績を残した?
早川友基は桐蔭学園高校卒業後、明治大学へ進学し、体育会サッカー部に所属した。
在学時期は2017年4月から2021年3月。大学1年生の段階から全国大会に出場し、強豪・明治大学のゴールを守った。
1年時の総理大臣杯で公式戦デビュー
早川は2017年9月1日から10日に行われた総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで、明治大学での公式戦初出場を果たした。
同大会の全試合にフル出場し、チームの準優勝に貢献。大会後の関東大学リーグでも出場を続け、1年生ながら主力GKとしてプレーした。
強豪大学で1年生のGKが起用されるのは簡単ではない。
ただし、「起用されたから精神力も高く評価されていた」と事実のように断定することはできない。出場実績からは、少なくとも当時のチームで公式戦を任せられるだけの総合力を示していたことが分かる。
早川自身は当時、明治大学のGKには安定したパフォーマンスだけでなく、勝利への姿勢や仲間からの信頼が必要だという趣旨を記している。
守備が強いチームほど、GKに飛んでくるシュートは多くない。しかし、数少ない決定機を止められるかどうかが勝敗を分ける。
この環境で早川は、派手なセーブの数だけでは測れない「勝敗を左右する一球へ備える力」を学んだと考えられる。
2019年に関東大学リーグベストイレブン
大学3年だった2019年、早川は関東大学リーグのベストイレブンに選出された。
鹿島アントラーズの加入内定発表でも、関東大学選抜歴と2019年のベストイレブン受賞が記載されている。
強いチームのGKには、守備だけでなく攻撃面での貢献も求められる。
ボールを奪った直後に素早く味方へつなぐのか、前線へ長いボールを送るのか。相手の配置を見ながら、チームを前進させる判断が必要だ。
早川は反応の鋭いシュートストップに加え、正確なフィードを評価されて鹿島入りした。
明治大学で高いレベルの選手たちとプレーし、勝利を求められる試合を重ねたことが、現代型GKとしての完成度を引き上げたと考えられる。
2020年6月19日に鹿島加入が内定
鹿島アントラーズは2020年6月19日、当時明治大学4年だった早川について、2021年シーズンからの加入内定を発表した。
発表時のプロフィールは、1999年3月3日生まれ、神奈川県出身、身長187センチ、体重81キロ。ポジションはGKで、利き足は右とされている。
経歴欄には、横浜F・マリノスプライマリー、横浜F・マリノスジュニアユース、桐蔭学園高校、明治大学が並んだ。
鹿島というクラブは、勝利が強く求められる場所だ。
早川は明治大学でも、全国レベルの選手が集まり、タイトル獲得を目標とする集団の最後方を任されてきた。大学で経験した競争と重圧は、鹿島へ進むうえで大きな準備になったはずだ。
早川友基の学歴から分かる育成経路の特徴
ここからは、確認できた学歴と所属歴を踏まえた筆者の考察である。
早川友基の経歴には、Jクラブのアカデミーだけで完結せず、高校と大学を経由してプロ入りしたという特徴がある。
横浜F・マリノスジュニアユースから桐蔭学園高校へ進み、明治大学で4年間を過ごした後、鹿島アントラーズへ加入した。
ユースからトップチームへ直接昇格する選手と比べると、プロ入りまでに長い時間がかかっている。
しかし、その時間は遠回りとは限らない。
高校では学校生活と部活動を両立し、大学では年齢も経験も異なる選手たちの中で競争した。複数の指導者から異なる要求を受け、そのたびに自分のプレーを調整する必要があったはずだ。
ゴールキーパーは、味方の守り方によって立ち位置や判断を変えなければならないポジションである。
高い最終ラインを敷くチームなら、背後の広いスペースをカバーする必要がある。低い位置で守るチームなら、クロスや至近距離からのシュートへ備えなければならない。
異なる環境を経験した早川は、一つの型だけに依存しない適応力を身につけた可能性がある。
学校生活と競技歴の両方に成長の跡がある
早川の学歴を調べると、サッカーの大会成績だけでなく、学校生活での人物像も見えてくる。
向陽小学校では、控えめで謙虚ながら、授業では高いサッカー技術を見せた。
小山中学校では班長を務め、学校行事の中心としてクラスを引っ張った。
桐蔭学園高校では神奈川県代表に選ばれ、明治大学では1年時から公式戦に出場した。
これらの事実から、少年時代の性格が現在のプレースタイルを直接生んだと断定することはできない。
それでも、年代が上がるにつれて、周囲を生かす姿勢、責任を担う経験、結果を求められる競争を積み重ねてきたことは分かる。
GKは、失点すれば強く注目される厳しいポジションだ。
自分のミスを受け止めながら、次のプレーでは何事もなかったように味方へ指示を出さなければならない。その責任を背負う準備は、ピッチ上だけで完成するものではないと筆者は考える。
鹿島で戦う土台を明治大学で築いた
早川は2021年に鹿島へ加入したが、加入直後からリーグ戦の正GKになったわけではない。
Jリーグ初出場は2022年9月16日。その後、2023年からリーグ戦での出場機会を増やし、ゴールを守る立場をつかんでいった。
このプロ入り後の歩みを必要以上に広げると、「学歴を知りたい」という記事のテーマから外れてしまう。
ただ、明治大学で学んだことが鹿島での競争へどうつながったかを見るためには、加入後すぐに定位置を得たわけではない点が重要だ。
大学1年時に主力へ抜てきされた経験がある一方、プロでは再び競争の列に並び直した。
それでも準備を続けて出場機会をつかんだ姿には、進学するたびに新しい環境で評価を積み直してきた経歴が重なる。
俺はここに、早川の強さを感じる。
完成した道を走ったのではない。場所が変わるたびに自分を組み立て直し、必要な部品を一つずつ追加してきた。まさに、長く走り続けるマシンを丁寧に仕上げるような成長である。
まとめ
早川友基の学歴は、相模原市立向陽小学校、相模原市立小山中学校、桐蔭学園高校、明治大学である。
小学生年代には小平八小アベリアFC、杉並シーダーズ、横浜F・マリノスプライマリーでプレーし、中学生年代は横浜F・マリノスジュニアユースに所属した。
高校では桐蔭学園高校サッカー部でプレー。2015年国体の少年男子では神奈川県代表となり、決勝で福岡県と0-0で引き分け、大会規定による両県優勝を経験した。
明治大学では1年時の総理大臣杯で公式戦デビューし、全試合に出場して準優勝に貢献。2019年には関東大学リーグベストイレブンへ選ばれ、2020年6月19日に鹿島アントラーズへの加入内定が発表された。
早川の学歴から見えてくるのは、エリート街道をただ一直線に進んだ姿ではない。
Jクラブの育成組織から高校サッカーへ移り、さらに大学サッカーで力を磨いた。異なる環境で競争を繰り返した経験が、鹿島のゴールを守るための土台になったと考えられる。
向陽小学校の卒業文集に記した「プロサッカー選手」という夢は現実になった。
だが、本当に胸を熱くさせるのは結果だけではない。小学校、中学校、高校、大学で積み上げた一日一日の先に、鹿島のユニフォームを着る早川友基がいる。
俺たちも、その歩みを知ったうえで守護神の戦いを見届けようぜ!
よくある質問
早川友基の出身小学校はどこですか?
早川友基が卒業した小学校は、神奈川県相模原市中央区にある相模原市立向陽小学校である。小学校6年生になる時期に家族と相模原市へ転居し、向陽小学校へ転入した。
早川友基の出身中学校はどこですか?
早川友基の出身中学校は相模原市立小山中学校である。中学生年代の競技活動では、横浜F・マリノスジュニアユースに所属していた。
早川友基の出身高校はどこですか?
早川友基の出身高校は桐蔭学園高校である。サッカー部では51期にあたり、2016年度に卒業した。
早川友基は高校時代に全国優勝しましたか?
2015年国体少年男子に神奈川県代表として出場した。決勝で福岡県と延長戦まで0-0で引き分け、大会規定により神奈川県と福岡県の両県優勝となった。
早川友基の出身大学はどこですか?
早川友基の出身大学は明治大学で、体育会サッカー部に所属した。1年時の総理大臣杯準優勝や、2019年の関東大学リーグベストイレブンなどの実績がある。
早川友基はいつ鹿島アントラーズへ加入しましたか?
2020年6月19日に2021年シーズンからの加入内定が発表され、明治大学卒業後の2021年に鹿島アントラーズへ加入した。
主な参考資料
- 鹿島アントラーズ「早川選手の2021年加入内定について」(2020年6月19日公開)
- 明大スポーツ新聞部「早川友基 総理大臣杯で鮮烈デビュー 準V貢献した強心臓1年生GK」(2017年9月30日公開)
- タウンニュース「サッカーW杯日本代表選出の早川選手 相模原での中学時代の教諭『これから夢を与えられる存在で』」(2026年7月30日公開)
- Jリーグ公式「早川友基 選手名鑑」「街の誇りを世界へ サッカー日本代表」
- 日本サッカー協会「SAMURAI BLUE 早川友基 選手プロフィール」
- 関東大学サッカー連盟「明治大学・早川友基選手、鹿島アントラーズ2021シーズン加入内定のお知らせ」(2020年6月19日公開)
著者:赤星茂


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