鹿島アントラーズの小川諒也は、流通経済大柏高校、FC東京、日本代表、欧州2カ国を経て、2025年6月に鹿島へ完全移籍した左利きのサイドバックだ。
2026年8月2日現在も鹿島に所属し、背番号7を着用している。苦しい時期にも出場機会をつかみ直してきた「立て直す力」が、その経歴を貫く大きな特徴である。Antlers+1
小川諒也の経歴は、一直線に成功だけを重ねたものではない。
高卒でFC東京へ加入した後、J1で出場できない時期にはJ3で実戦経験を積み、主力、日本代表へと成長した。欧州ではポルトガルとベルギーで出場機会を争い、ベルギーで立場を高めてから鹿島へ加入している。
まずは、所属期間、移籍形態、リーグ戦成績を同じ基準で整理しよう。
期間 所属クラブ 移籍・登録形態 リーグ戦成績
2015年 FC東京/Jリーグ・アンダー22選抜 流通経済大柏高校から加入 J1・0試合0得点、J3・1試合0得点
2016〜2022年夏 FC東京/FC東京U-23 FC東京所属 J1・133試合4得点、J3・52試合1得点
2022年夏〜2023年 ヴィトーリアSC FC東京から期限付き移籍 ポルトガル1部・6試合0得点
2023〜2024年 シント=トロイデンVV 期限付き移籍 ベルギー1部・4試合0得点
2024〜2025年 シント=トロイデンVV 完全移籍 2024-25リーグ・29試合2得点
2025年6月〜 鹿島アントラーズ 完全移籍 2025年J1・15試合0得点
国内の数字は鹿島アントラーズ公式プロフィールに掲載されたリーグ別成績を基準とした。欧州については、シーズンをまたぐ大会やカップ戦を混同しないよう、本文では原則として各国1部リーグの出場数を記載する。Antlers
鹿島アントラーズ・小川諒也のプロフィールは?
小川諒也は1996年11月24日生まれ、東京都出身のディフェンダーである。
身長183センチ、体重78キロ、利き足は左。鹿島では背番号7を着け、主に左サイドバックとしてプレーしている。日本代表では国際Aマッチ5試合に出場し、得点は0だ。Antlers+2Antlers+2
- 名前:小川諒也
- 読み方:おがわ りょうや
- 生年月日:1996年11月24日
- 出身地:東京都
- 身長:183センチ
- 体重:78キロ
- ポジション:DF
- 主なポジション:左サイドバック
- 利き足:左
- 所属:鹿島アントラーズ
- 背番号:7
- 日本代表成績:5試合0得点
一部の過去記事では出生地や育った地域について異なる表現が見られるが、鹿島アントラーズの加入発表と2026年の登録選手情報では、出身地が「東京都」と記載されている。本記事では現在の所属クラブが公表する情報を採用した。Antlers+1
183センチのサイズを持つ左利きのサイドバックは、編成上も貴重な存在だ。
外側を駆け上がって左足でクロスを送るだけでなく、逆サイドから入るボールへの空中対応や、中央へ絞った際の守備にも高さを使える。
ただし、身長や利き足だけで小川の価値を説明するのは不十分だ。
小川はFC東京時代に右サイドでも起用され、守備だけでなく攻撃的な位置でプレーしてきた経歴も伝えられている。異なる立ち位置を経験したことで、外側から追い越す場面と、後方に残って攻撃を組み立てる場面を使い分けられる可能性がある。
ここは事実と評価を分けておきたい。
複数ポジションの経験が現在の判断力にどこまで直結しているかは、本人や指導者による詳細な説明がなければ断定できない。ただ、左右や前後の異なる役割を経験したことが、プレーの選択肢を広げる材料になっていることは確かだろう。
小川諒也の高校時代は?流通経済大柏高校で全国ベスト4
小川諒也はコレーガサッカークラブ、Forza’02を経て、千葉県の強豪・流通経済大学付属柏高校へ進学した。
2014年度の第93回全国高校サッカー選手権では、流通経済大柏高校のベスト4進出に貢献し、大会優秀選手にも選ばれている。
鹿島アントラーズ公式が掲載するプロ入り前の所属歴は、次の通りだ。
- コレーガサッカークラブ
- Forza’02
- 流通経済大学付属柏高校
- FC東京
小川が流通経済大柏高校へ進学したのは2012年である。
同校は球際の強度、攻守の切り替え、運動量、組織的な守備を高い水準で求める全国屈指の強豪校だ。技術があるだけでは試合に出られず、日々の競争を勝ち抜く必要がある。
高校時代の小川は、左サイドを中心に複数の位置を経験したと報じられている。
特に2014年夏以降は攻撃力を生かすため、高い位置で起用される機会も増えた。左足のキックとサイズを備えた選手が前方での感覚を身につけたことは、その後のクロスや攻撃参加を理解するうえで重要な背景である。
サイドバックが効果的なクロスを送るには、ただ正確に蹴るだけでは足りない。
味方がニアへ入るのか、ファーで待つのか。相手センターバックが前を向いているのか、ゴール方向へ走らされているのか。その状況を見て、速いボール、浮かせたボール、マイナス方向へのパスを選ぶ必要がある。
高校時代の前方での経験が、現在の小川のクロス判断にどの程度影響しているかは断定できない。
それでも、守る側と受ける側の両方を経験したことが、サイドでのプレーを考える材料になった可能性はある。
2014年度の全国高校選手権で流通経済大柏高校は準決勝まで進出した。
小川も左足のキックを生かして攻撃へ関わり、大会優秀選手に選出された。全国舞台での活躍を経て、2015年にFC東京へ加入することになる。

高校時代の最大の成果は、全国ベスト4や優秀選手という肩書だけではない。
強豪校の激しい競争のなかで、左足という武器だけに頼らず、球際や運動量、複数の役割へ向き合ったことが、プロ生活の土台になったと考えられる。
小川諒也のFC東京時代は?J3から主力と日本代表へ成長
小川諒也は2015年、流通経済大柏高校からFC東京へ加入した。
プロ1年目はFC東京のJ1リーグ戦に出場できなかったが、2015年3月21日のJ3第2節・レノファ山口FC戦で、Jリーグ・アンダー22選抜の選手としてリーグ戦デビューを果たした。Antlers
全国高校選手権の優秀選手であっても、プロでは再びゼロから競争が始まる。
小川も1年目からトップチームの主力になったわけではない。守備時の距離感、攻撃参加後の戻り、相手ウイングとの一対一など、プロの速度と強度へ適応する時間が必要だった。
トップチームでの公式戦デビューは2016年3月1日である。
AFCチャンピオンズリーグのビンズオン戦に左サイドバックとして先発。左足からゴールへ向かうボールを送り、相手のオウンゴールや得点につながる攻撃に関わった。
同年3月6日のベガルタ仙台戦ではJ1初出場を記録した。
2016年はJ1リーグ18試合に出場したが、翌2017年は5試合に減少。トップチームだけでなく、FC東京U-23の一員としてJ3でも実戦経験を積んだ。
鹿島公式プロフィールに掲載されたFC東京時代のJ1成績は次の通りである。Antlers
シーズン J1出場 J1得点
2015年 0 0
2016年 18 0
2017年 5 0
2018年 15 0
2019年 22 1
2020年 28 0
2021年 30 1
2022年 15 2
合計 133 4
FC東京所属時に出場したJ3は、Jリーグ・アンダー22選抜の1試合とFC東京U-23での52試合を合わせ、通算53試合1得点である。
リーグ戦初得点は2017年7月15日、FC東京U-23の選手として出場したガイナーレ鳥取戦で記録した。Antlers
このJ3での53試合は、小川の経歴で見落とせない数字だ。
トップチームだけを見れば、2017年と2018年は十分な出場機会を得たとは言いにくい。しかし、実戦から完全に離れていたわけではなく、J3で試合に出ながら守備対応や試合感覚を磨いていた。
2017年5月31日のルヴァンカップ・清水エスパルス戦では、直接フリーキックからトップチームでの公式戦初得点を記録した。
2018年には本職とは逆の右サイドバックでも起用され、2019年はJ1で22試合に出場。5月18日の北海道コンサドーレ札幌戦でJ1初得点を挙げた。
2020年はJ1リーグ28試合に出場し、FC東京のルヴァンカップ優勝を経験した。
2021年は自己最多となるJ1リーグ30試合に出場。クラブでの継続したプレーが評価され、日本代表へ初招集された。
小川の日本代表デビューは2021年3月25日の韓国代表戦だ。
日本が3対0で勝利した試合で、後半21分に佐々木翔と交代して出場した。日本サッカー協会の公式記録でも、この交代出場が確認できる。JFA|公益財団法人日本サッカー協会
同年は韓国、モンゴル、タジキスタン、セルビア、キルギスとの国際Aマッチに出場し、通算5試合0得点となっている。JFA|公益財団法人日本サッカー協会+1
代表活動中の2021年6月、小川はセルビア戦を前に、競り合いや一対一で負けず、センターバックやボランチと連係して守りたいと語っていた。
同時に、それまでの出場機会が先発ではなかったことに満足せず、周囲との連係やポジショニングを改善する必要があるという認識も示している。JFA|公益財団法人日本サッカー協会
この発言は、小川のプレーを考えるうえで興味深い。
左足の攻撃力だけでなく、本人が守備の一対一、周囲との連係、ポジショニングを課題として具体的に捉えていたからだ。単なる精神論ではなく、改善すべき項目を整理して代表活動へ臨んでいたことが分かる。
FC東京ではJ1通算133試合4得点を記録した。
プロ1年目のJ1出場ゼロから、U-23での実戦を経て、リーグ30試合出場と日本代表まで到達した。ここで築いた国内での実績が、次の欧州挑戦につながったのである。
小川諒也の欧州経歴は?ポルトガルの苦戦からベルギーで29試合
小川諒也は2022年夏、FC東京からポルトガル1部のヴィトーリアSCへ期限付き移籍した。
その後、2023年夏にベルギー1部のシント=トロイデンVVへ期限付き移籍し、2024年に完全移籍。2024-25シーズンにはリーグ29試合2得点を記録した。
ヴィトーリアSCでの公式戦デビューは2022年7月21日だった。
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ予選に出場し、欧州でのキャリアをスタートさせた。
ただし、2022-23シーズンのポルトガル1部リーグでは6試合の出場にとどまった。
欧州ではサイドの選手に対し、攻撃参加だけでなく、一対一の強度、切り替えの速度、背後の管理、ボール保持時の判断が厳しく問われる。言語や生活環境も含め、日本で実績を持つ選手でも、すぐに定位置を確保できるとは限らない。
小川がポルトガルで出場数を伸ばせなかった具体的な理由について、クラブや監督による詳細な説明は確認できない。
したがって、戦術理解や適応の不足を理由として断定することは避けるべきだ。確認できる事実は、ポルトガル1部でのリーグ出場が6試合にとどまり、翌年に所属先を変えたことである。
2023年夏、小川はシント=トロイデンVVへ期限付き移籍した。
加入時には、183センチのサイズを持つ左利きのサイドバックであり、左足からのキックがチームの新たな武器になる選手として期待された。
しかし、期限付き移籍1年目の2023-24シーズンも、ベルギー1部リーグでの出場は4試合だった。
ポルトガルで6試合、ベルギー1年目で4試合。
数字だけを見れば、欧州で厳しい時間が続いていたことが分かる。
それでもシント=トロイデンVVは2024年6月、小川の完全移籍加入を発表した。
出場数が少なかった理由や完全移籍を決めた詳細な評価項目までは公表されていない。だが、期限付き移籍後にクラブが契約を完全移籍へ切り替えた事実から、少なくともチーム内で今後も戦力として保有する価値を認められたことはうかがえる。
「練習態度や戦術理解が高く評価された」と断定するのは根拠が足りない。
一方で、出場4試合だけを理由に「評価されていなかった」と決めつけるのも正確ではない。完全移籍というクラブの判断そのものが、一定の評価を示す材料になるからだ。
そして2024-25シーズン、小川はベルギー1部リーグで29試合に出場し、2得点を記録した。
前年の4試合から29試合へ、出場数は大きく増えた。小川の欧州経歴における最大の転機は、海外へ渡った事実よりも、出番の少ない2シーズンを経てベルギーで試合数を伸ばしたことにある。

ここで注目したいのは、環境を変えただけで終わらなかった点だ。
ポルトガルで6試合、ベルギー初年度で4試合という状況から、同じベルギーのクラブに残り、翌季29試合へ伸ばした。この推移は、小川が欧州で立場を変えたことを示す最も分かりやすい数字である。
具体的にどの能力が起用増加をもたらしたかは、詳細なプレーデータや監督の説明がなければ断定できない。
それでも、出場数の変化から、チーム内での序列や信頼が前年より高まったと見るのが自然だろう。
小川諒也はなぜ鹿島へ?2025年加入から2026年現在まで
鹿島アントラーズは2025年6月9日、小川諒也がシント=トロイデンVVから完全移籍で加入すると発表した。
背番号は7。加入発表時点で、FC東京でのJ1経験、日本代表5試合、ポルトガルとベルギーでの欧州経験を持つ左利きのDFとして迎えられた。Antlers
鹿島が公式発表で示した加入形態は完全移籍である。
移籍金や契約年数は公表されていないため、金額や契約期間を推測で補うことはできない。
小川は加入後の2025年6月14日、J1第20節のサンフレッチェ広島戦で鹿島デビューを果たした。
後半34分に溝口修平との交代で入り、4バックの左を担当。試合後には、高い位置を取って攻撃的にプレーしようと考えていたことを明かしている。Antlers
この発言からは、少なくとも同試合での役割が明確に分かる。
小川は守備を固めるためだけに投入されたのではなく、左サイドの高い位置へ出て、攻撃を活性化する役割を意識していた。
2025年8月23日のアルビレックス新潟戦では左サイドバックとして先発した。
1対1で迎えた後半42分、小川が左サイドからクロスを送り、レオ・セアラの勝ち越しゴールにつながった。鹿島は2対1で勝利し、小川は試合後、このプレーが鹿島加入後のリーグ戦初アシストだったと振り返っている。Antlers
この新潟戦は、鹿島で期待される役割を具体的に示した一戦だ。
左サイドで前方へ進み、ゴール前にいるストライカーへクロスを届ける。小川の左足が、レオ・セアラというフィニッシャーの強みと結びついた。
2025年の鹿島で、小川はJ1リーグ15試合に出場し、得点は0。
天皇杯では3試合に出場して1得点を記録した。鹿島公式プロフィールでは、国内リーグ、リーグカップ、天皇杯が分けて掲載されており、リーグ15試合と天皇杯3試合は別の数字である。Antlers
同年、鹿島はJ1リーグ優勝を果たした。
シーズン途中加入だった小川もリーグ15試合に出場し、タイトル獲得を経験した。
2026年1月5日に発表された明治安田J1百年構想リーグの登録選手一覧にも、小川は背番号7のDFとして掲載された。Antlers
さらに2026年7月5日発表の2026/27シーズン登録選手にも、次の情報で名前が記載されている。
- 背番号:7
- ポジション:DF
- 生年月日:1996年11月24日
- 身長・体重:183センチ・78キロ
- 出身地:東京都
したがって、2026年8月2日現在も小川諒也は鹿島アントラーズに所属している。Antlers
鹿島のサイドバックには、安西幸輝、濃野公人、小池龍太、溝口修平らが登録されている。
左右を担当できる選手や攻撃力の高い選手がそろっており、小川の先発が常に保証されているわけではない。相手や試合展開に応じた起用競争が続く。
2026年の公式プロフィールで、小川はサッカー面の目標として「連覇」を掲げ、サポーターへ「やってこー!!」とメッセージを送っている。Antlers
加入初年度に優勝したからこそ、次に問われるのはタイトル獲得を一度きりで終わらせないことだ。
小川諒也の強みと鹿島で期待される役割は?
ここからは、確認できる試合内容と経歴を踏まえた筆者の考察である。
小川諒也の分かりやすい武器は、183センチのサイズと左足のキックだ。
ただし、鹿島での価値を考える際は「クロスを上げられる左サイドバック」という一言だけで終わらせるべきではない。
2025年6月の広島戦では、途中出場後に高い位置を取って攻撃的にプレーしようとした。
8月の新潟戦では、左サイドを上がってクロスを送り、レオ・セアラの決勝点につなげた。これは、小川の役割を推測だけでなく実際の試合から確認できる具体例である。Antlers+1
鹿島には鈴木優磨やレオ・セアラのように、ゴール前で相手DFと競りながら得点へ関われる選手がいる。
左サイドからタイミングよくクロスを供給できれば、中央の強さを引き出せる。新潟戦の勝ち越し点は、その組み合わせが実際に結果へ結びついた場面だった。
一方、小川が高い位置へ出れば、その背後にはスペースが生まれる。
攻撃参加の回数を増やすだけでなく、ボランチやセンターバックの位置を確認し、ボールを失った後に守備陣形を維持できるかが重要になる。
小川自身も日本代表活動中、一対一だけでなく、センターバックやボランチとの連係、ポジショニングを改善点として語っていた。JFA|公益財団法人日本サッカー協会
この発言を鹿島での役割に置き換えるなら、注目すべき項目は次の通りだ。
- 左サイドで相手を押し下げられたか
- 鈴木優磨やレオ・セアラへ質の高いボールを送れたか
- 高い位置を取った後、背後のスペースを管理できたか
- センターバックやボランチと連係して守れたか
- 試合終盤にリスクを抑えた判断ができたか
クロス数やアシスト数だけでは、サイドバックの仕事をすべて評価できない。
ボールを受ける前の位置取りによって相手を外へ広げる仕事や、逆サイドからのクロスに対してゴール前へ絞る守備は、得点記録には残りにくい。
筆者として、小川の経歴を象徴する言葉は立て直す力だと考える。
FC東京ではJ1出場ゼロの1年目から始まり、U-23で試合を重ねてJ1の主力と日本代表へ進んだ。
欧州ではポルトガル1部6試合、ベルギー初年度4試合という苦しい数字を経験した後、2024-25シーズンに29試合2得点まで出場数を伸ばした。
これは「諦めなかった」という抽象的な美談だけではない。
リーグ出場数が実際に増え、次の鹿島への完全移籍につながったという、数字で確認できるキャリアの変化である。
長いシーズンでは、すべての選手が好調を維持できるわけではない。
先発から外れる時期、連戦で疲労がたまる時期、戦術変更によって役割が変わる時期もある。そこで準備を続け、再び試合へ入れる選手は、優勝を争うチームに必要だ。
小川は2025年に鹿島でリーグ15試合に出場した。
2026年以降、さらに評価を高めるには、左足のクロスで決定機を作るだけでなく、守備の安定、ビルドアップ、試合終盤の判断で継続的に信頼を得る必要がある。
熱さだけで先発はつかめない。
だが、FC東京と欧州で何度も立場を変えてきた小川には、競争のなかで自分を整え直してきた実績がある。その経験を鹿島の連覇への力に変えられるか、背番号7の次の勝負に注目しようぜ!
まとめ
鹿島アントラーズの小川諒也は、コレーガサッカークラブ、Forza’02、流通経済大柏高校を経て、2015年にFC東京へ加入した。
プロ1年目はJ1出場がなかったものの、Jリーグ・アンダー22選抜やFC東京U-23でJ3通算53試合に出場。FC東京ではJ1通算133試合4得点を記録し、2021年に日本代表として国際Aマッチ5試合へ出場した。
2022年夏にポルトガルのヴィトーリアSCへ期限付き移籍し、2023年からベルギーのシント=トロイデンVVでプレーした。
欧州ではポルトガル1部6試合、ベルギー初年度4試合と出番が限られたが、2024-25シーズンにはベルギー1部で29試合2得点を記録した。
2025年6月9日、シント=トロイデンVVから鹿島へ完全移籍。
加入初年度はJ1リーグ15試合、天皇杯3試合1得点を記録し、鹿島のJ1優勝を経験した。
2026年8月2日現在も鹿島に所属し、背番号7を着用している。
小川諒也の経歴で特に注目したいのは、苦しい時期の後に実際の出場数を伸ばしてきた点だ。
J3からFC東京の主力へ、欧州での出場減からベルギー29試合へ。その立て直す力と左足を、鹿島の次のタイトルへつなげてもらおう。
よくある質問
小川諒也はどこの高校出身ですか?
小川諒也は、千葉県の流通経済大学付属柏高校出身である。
2014年度の全国高校サッカー選手権では、チームのベスト4進出に貢献し、大会優秀選手に選出された。
小川諒也のFC東京での成績は?
FC東京では2015年から2022年夏までプレーし、J1リーグ通算133試合4得点を記録した。
このほか、Jリーグ・アンダー22選抜とFC東京U-23でJ3通算53試合1得点を記録している。Antlers
小川諒也は日本代表で何試合に出場しましたか?
日本代表では国際Aマッチ5試合に出場し、得点は0である。
代表デビューは2021年3月25日の韓国代表戦で、日本が3対0で勝利した試合の後半から出場した。JFA|公益財団法人日本サッカー協会+1
小川諒也が鹿島へ加入したのはいつですか?
2025年6月9日、シント=トロイデンVVから鹿島アントラーズへ完全移籍することが発表された。
背番号は7で、2025年6月14日のサンフレッチェ広島戦で鹿島デビューを果たした。Antlers+1
小川諒也は2026年現在も鹿島に所属していますか?
2026年8月2日現在も鹿島アントラーズに所属している。
2026年7月5日に発表された2026/27シーズンのトップチーム登録選手一覧にも、背番号7のDFとして掲載された。Antlers
参考資料
- 鹿島アントラーズ「小川 諒也選手 完全移籍加入のお知らせ」(2025年6月9日)
- 鹿島アントラーズ「小川 諒也 選手プロフィール」
- 鹿島アントラーズ「2026/27シーズン トップチーム登録選手のお知らせ」(2026年7月5日)
- 鹿島アントラーズ「2025明治安田J1リーグ 第20節 鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島」
- 鹿島アントラーズ「2025明治安田J1リーグ 第27節 アルビレックス新潟対鹿島アントラーズ」
- 日本サッカー協会「DF 小川諒也 SAMURAI BLUE 選手情報」
- 日本サッカー協会「国際親善試合 日本代表対韓国代表 試合記録」(2021年3月25日)
執筆:赤星茂(熱血自動車整備士ブロガー)


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